大山 幸綱(おおやま ゆきつな)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての薩摩国島津氏家臣。先祖は源平合戦(治承・寿永の乱)で活躍した佐々木高綱で、その次男・野木光綱の子である行綱が薩摩へ下向したのが、九州に根を張る始まりとなった。或る時、島津義弘が罪人を討ち果たさんとした際のこと、その罪人が稲殻に躓き倒れたところを幸綱が討ち取った。それにより義弘より感状と稲介の名を賜り、以後より自らの代を限りに弟の綱宗共々、髪を茶筅髷にするようになった。天正18年(1590年)、義弘次男の久保が小田原征伐に進軍する際はこれに同行し、文禄の役の際は兵具奉行として朝鮮へ渡海......
大山 幸綱(おおやま ゆきつな)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての薩摩国島津氏家臣。先祖は源平合戦(治承・寿永の乱)で活躍した佐々木高綱で、その次男・野木光綱の子である行綱が薩摩へ下向したのが、九州に根を張る始まりとなった。或る時、島津義弘が罪人を討ち果たさんとした際のこと、その罪人が稲殻に躓き倒れたところを幸綱が討ち取った。それにより義弘より感状と稲介の名を賜り、以後よ......