大井 実春(おおい さねはる、生没年不詳)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の武蔵国荏原郡大井郷の武将。鎌倉幕府御家人。父は紀実直。本姓は紀氏。同族に品河氏がある。通称は兵衛次郎、兵三次郎。『吾妻鏡』初見は元暦元年(1184年)3月22日条で、伊勢国で起こった三日平氏の乱の鎮圧のために上洛した記事である。伊賀国守護の大内惟義の指揮下に属し、5月、頼朝と対立して潜伏していた志田義広を、山内首藤経俊・波多野盛通らと共に伊勢国羽取山で討伐して武功を立て、伊勢方面に勢力を蓄えた。大江広元が因幡守となった際に、その目代となり、源義経の大夫尉任官の拝賀では、椀飯の沙汰を務......
大井 実春(おおい さねはる、生没年不詳)は、平安時代末期、鎌倉時代初期の武蔵国荏原郡大井郷の武将。鎌倉幕府御家人。父は紀実直。本姓は紀氏。同族に品河氏がある。通称は兵衛次郎、兵三次郎。『吾妻鏡』初見は元暦元年(1184年)3月22日条で、伊勢国で起こった三日平氏の乱の鎮圧のために上洛した記事である。伊賀国守護の大内惟義の指揮下に属し、5月、頼朝と対立して潜伏していた志田義広を、......