画像引用元: upload.wikimedia.org大久保忠行
推定知名度0.17%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
大久保 忠行(おおくぼ ただゆき、生年不詳 - 元和3年7月6日(1617年8月7日))は戦国時代から江戸時代の武士、治水家。宇津忠茂の五男。大久保忠俊・大久保忠員の弟。妻は遠山氏の娘・伊可。通称は藤五郎、主水(もんと)。三河国上和田の武士。徳川家康に仕え、永禄3年(1560年)に三河国宝飯郡赤坂郷で領地300石を与えられる。永禄6年(1563年)、三河一向一揆に三河大久保党三十六騎の一人として出陣するが、鉄砲の弾が腰に当たって落馬・負傷し、以後歩行が不自由となる。これにより実質、侍としてのいわゆる「槍働き」ができなくなり、戦役を免除され三河国上和田に住んだ。何処で覚えたのか定かではないが、忠行は菓子類の制作ができ、この技術により家康の陣営に茶菓(餅)を献上する役目、いわゆる菓子司となった。忠行の作った餅は駿河餅、ないしは三河餅と呼ばれ、この餅を含めた各種の菓子は家康の嗜好に合ったらしく、度々忠行にこれを求めていた、また、家康は毒殺を恐れて普段から献上される餅を食べなかったが、忠行から献上された際には彼を信頼して食べていた、などの話が残る。三方ヶ原の戦いの際には従軍する代わりに、出陣に際し六種の菓子を家康に献じ、その後それが家例となった。
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