大久保 忠行(おおくぼ ただゆき、生年不詳 - 元和3年7月6日(1617年8月7日))は戦国時代から江戸時代の武士、治水家。宇津忠茂の五男。大久保忠俊・大久保忠員の弟。妻は遠山氏の娘・伊可。通称は藤五郎、主水(もんと)。三河国上和田の武士。徳川家康に仕え、永禄3年(1560年)に三河国宝飯郡赤坂郷で領地300石を与えられる。永禄6年(1563年)、三河一向一揆に三河大久保党三十六騎の一人として出陣するが、鉄砲の弾が腰に当たって落馬・負傷し、以後歩行が不自由となる。これにより実質、侍としてのいわゆる「槍働き」ができなくなり、戦役を免除され三河国上和田に住ん......
大久保 忠行(おおくぼ ただゆき、生年不詳 - 元和3年7月6日(1617年8月7日))は戦国時代から江戸時代の武士、治水家。宇津忠茂の五男。大久保忠俊・大久保忠員の弟。妻は遠山氏の娘・伊可。通称は藤五郎、主水(もんと)。三河国上和田の武士。徳川家康に仕え、永禄3年(1560年)に三河国宝飯郡赤坂郷で領地300石を与えられる。永禄6年(1563年)、三河一向一揆に三河大久保党三十......