大久保 忠俊(おおくぼ ただとし、明応8年(1499年) - 天正9年9月26日(1581年10月23日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。三河の松平氏(徳川氏)の家臣。宇津忠茂の子。蟹江七本槍の一人。名は新八郎、五郎右衛門とも。子に大久保忠勝、大久保忠益、女子(蜂屋貞次妻)。
大久保 忠俊(おおくぼ ただとし、明応8年(1499年) - 天正9年9月26日(1581年10月23日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。三河の松平氏(徳川氏)の家臣。宇津忠茂の子。蟹江七本槍の一人。名は新八郎、五郎右衛門とも。子に大久保忠勝、大久保忠益、女子(蜂屋貞次妻)。