大中臣 雄良(おおなかとみ の およし、生没年不詳)は平安時代初期の官人。伊予守・大中臣常麻呂の次男。はじめ内舎人を務める。天長4年(827年)正月、淳和天皇の体調がすぐれないため、占いを行ったところ、東寺の塔を作るための材木として稲荷神社の樹木を伐ったことによる稲荷神の祟りであるといわれたため、雄良を稲荷神社に遣わして従五位下の神階を授けている。当時の位階は従七位下であった。その後、正六位上・常陸少掾に至った。
大中臣 雄良(おおなかとみ の およし、生没年不詳)は平安時代初期の官人。伊予守・大中臣常麻呂の次男。はじめ内舎人を務める。天長4年(827年)正月、淳和天皇の体調がすぐれないため、占いを行ったところ、東寺の塔を作るための材木として稲荷神社の樹木を伐ったことによる稲荷神の祟りであるといわれたため、雄良を稲荷神社に遣わして従五位下の神階を授けている。当時の位階は従七位下であった。そ......