大中臣為定(おおなかとみ の ためさだ、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての神官。大中臣為仲(第41代祭主)の子。神祇権少副・造内外宮使などを経て、正四位上神祇権大副で卒去。享年64だったという。延喜年間に撰集された大中臣氏の系帳(大中臣本系帳)を書き継ぎ、元久2年(1205年)『大中臣氏系図』を撰進した。
大中臣為定(おおなかとみ の ためさだ、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての神官。大中臣為仲(第41代祭主)の子。神祇権少副・造内外宮使などを経て、正四位上神祇権大副で卒去。享年64だったという。延喜年間に撰集された大中臣氏の系帳(大中臣本系帳)を書き継ぎ、元久2年(1205年)『大中臣氏系図』を撰進した。