大中臣 定長(おおなかとみ の さだなが、生年不詳 - 康治元年12月9日(1142年12月27日))は、平安時代後期の歌人。大中臣定登の子で、叔父(父の末弟)の従二位祭主大中臣公長の養子となった。子に大中臣清長がいた。保延4年(1138年)、養父公長が殺人の罪に問われて職務を停止されたため、定長も連座して神事供奉を停止された。その後、権大副(神祇官の次官)に転任し、康治元年12月9日卒去した。詠歌が『金葉和歌集』に1首収録されている(歌番号672)。
大中臣 定長(おおなかとみ の さだなが、生年不詳 - 康治元年12月9日(1142年12月27日))は、平安時代後期の歌人。大中臣定登の子で、叔父(父の末弟)の従二位祭主大中臣公長の養子となった。子に大中臣清長がいた。保延4年(1138年)、養父公長が殺人の罪に問われて職務を停止されたため、定長も連座して神事供奉を停止された。その後、権大副(神祇官の次官)に転任し、康治元年12......