多賀庵 風律(たがあん ふうりつ、元禄11年(1698年) - 天明元年4月29日(1781年5月22日))は、江戸時代前期の俳諧師。俳号を風律と号する。広島塩屋町にて漆器を商っていたが、蕉門十哲の一人とされる志太野坡に入門し、俳諧を学んだ。晩年には、広島城下堺町に多賀庵を結んだ。のちに風律から、六合が多賀庵を譲り受け、多賀庵二世となった。以降多賀庵は蕉門野坡流の中国地方における拠点として存続した。風律は『小ばなし』を編集したと言われているが現存せず。
多賀庵 風律(たがあん ふうりつ、元禄11年(1698年) - 天明元年4月29日(1781年5月22日))は、江戸時代前期の俳諧師。俳号を風律と号する。広島塩屋町にて漆器を商っていたが、蕉門十哲の一人とされる志太野坡に入門し、俳諧を学んだ。晩年には、広島城下堺町に多賀庵を結んだ。のちに風律から、六合が多賀庵を譲り受け、多賀庵二世となった。以降多賀庵は蕉門野坡流の中国地方における......