多賀 宗直(たが むねなお、生年不詳 - 長享元年5月1日(1487年6月1日))は、室町時代後期から戦国時代前期の武将。多賀清直の子。通称は兵衛四郎。号は大成。京極氏の家臣多賀氏の一族で多賀出雲守家の出身。諱の「宗」の字は(後述の和睦時に)京極材宗から偏諱(一字)を賜ったものと思われる。京極氏のお家騒動(京極騒乱)では父と共に京極乙童子丸(後の高清)を擁立して乙童子丸の叔父京極政経(材宗の父)及び多賀高忠と衝突を繰り返し、父が文明11年(1479年)に亡くなった後も抵抗を続けたが、文明13年(1481年)に室町幕府の仲介で高忠と和睦、高清の補佐として事実......
多賀 宗直(たが むねなお、生年不詳 - 長享元年5月1日(1487年6月1日))は、室町時代後期から戦国時代前期の武将。多賀清直の子。通称は兵衛四郎。号は大成。京極氏の家臣多賀氏の一族で多賀出雲守家の出身。諱の「宗」の字は(後述の和睦時に)京極材宗から偏諱(一字)を賜ったものと思われる。京極氏のお家騒動(京極騒乱)では父と共に京極乙童子丸(後の高清)を擁立して乙童子丸の叔父京極......