多 梅稚(おおの うめわか、明治2年(1869年) - 大正9年(1920年))は、日本の音楽教育者・作曲家。男性。多は京都市で生まれ、東京音楽学校に入学。卒業後、大阪府の師範学校(今の大阪教育大学)で教諭として勤務。その最中の明治33年(1900年)に、大和田建樹に依頼され『鉄道唱歌』を作曲した。このとき、大和田建樹は上眞行(「一月一日」などの作者で、この時東京音楽学校講師)にも作曲を依頼しており、上眞行は自分より格が劣るようだった多にも同時依頼したことを不快に思ったといわれるが、結局は勝つ自信があったため引き受けたといわれる。そのような事情から、明治3......
多 梅稚(おおの うめわか、明治2年(1869年) - 大正9年(1920年))は、日本の音楽教育者・作曲家。男性。多は京都市で生まれ、東京音楽学校に入学。卒業後、大阪府の師範学校(今の大阪教育大学)で教諭として勤務。その最中の明治33年(1900年)に、大和田建樹に依頼され『鉄道唱歌』を作曲した。このとき、大和田建樹は上眞行(「一月一日」などの作者で、この時東京音楽学校講師)に......