多川九左衛門(たがわ くざえもん、生没年不詳)は、江戸時代前期の武士。赤穂藩浅野氏の家臣。赤穂藩では持筒頭400石。多川家は藩内でも有数の重臣家。赤穂浪士のうち小野寺秀和・間瀬正明・岡野包秀・中村正辰・大高忠雄などと親族の関係にある。元禄15年(1702年)11月16日に小野寺が寺井玄渓にあてた書状の中で「多川は浅野家第一の武功がある者の養子なのに卑怯極まりない者である」と罵っていることから、多川は養子であったと考えられる。元禄14年(1701年)3月14日、主君浅野長矩(内匠頭)が吉良義央(上野介)に殿中刃傷に及んだ際には赤穂におり、同年3月29日、大石......
多川九左衛門(たがわ くざえもん、生没年不詳)は、江戸時代前期の武士。赤穂藩浅野氏の家臣。赤穂藩では持筒頭400石。多川家は藩内でも有数の重臣家。赤穂浪士のうち小野寺秀和・間瀬正明・岡野包秀・中村正辰・大高忠雄などと親族の関係にある。元禄15年(1702年)11月16日に小野寺が寺井玄渓にあてた書状の中で「多川は浅野家第一の武功がある者の養子なのに卑怯極まりない者である」と罵って......