多久 茂辰(たく しげとき、慶長13年5月19日 (旧暦)|5月19日(1608年7月1日)寛文9年1月6日 (旧暦)|1月6日(1669年2月6日))は、江戸時代前期の佐賀藩士、第2代多久邑主。龍造寺四家の一つ後多久氏の当主。後藤茂富と梅(大田茂連の娘)の子。室は鶴(天性院。鍋島勝茂の娘)。美作守。子に多久茂矩、岡部興貞室(鍋島元茂養女)、鶴子(南祥院、鍋島直能室)。
多久 茂辰(たく しげとき、慶長13年5月19日 (旧暦)|5月19日(1608年7月1日)寛文9年1月6日 (旧暦)|1月6日(1669年2月6日))は、江戸時代前期の佐賀藩士、第2代多久邑主。龍造寺四家の一つ後多久氏の当主。後藤茂富と梅(大田茂連の娘)の子。室は鶴(天性院。鍋島勝茂の娘)。美作守。子に多久茂矩、岡部興貞室(鍋島元茂養女)、鶴子(南祥院、鍋島直能室)。