堀内俊胤(ほりうち としたね 、? - 1569年)は、陸奥国相馬氏の一門・堀内近胤の嫡男である。1569年(永禄12年)1月、伊達氏との合戦で討死した。俊宗の娘(または妹)はその後、堀内の名跡を継ぐため、懸田義宗(または俊宗)の三男・義氏や泉胤秋と妻合わされたが、最終的には二本松右馬頭の妻となった。(奥相茶話記・東奥中村記)
堀内俊胤(ほりうち としたね 、? - 1569年)は、陸奥国相馬氏の一門・堀内近胤の嫡男である。1569年(永禄12年)1月、伊達氏との合戦で討死した。俊宗の娘(または妹)はその後、堀内の名跡を継ぐため、懸田義宗(または俊宗)の三男・義氏や泉胤秋と妻合わされたが、最終的には二本松右馬頭の妻となった。(奥相茶話記・東奥中村記)