画像引用元: blogimg.goo.ne.jp坊城俊克
推定知名度1.55%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
坊城 俊克(ぼうじょう としかつ、享和2年9月11日 (旧暦)|9月11日(1802年10月7日) - 慶応元年7月20日 (旧暦)|7月20日(1865年9月9日))は、幕末の公家。坊城俊親の子、母は勧修寺経逸の娘。坊城俊明の養子となる。京都で誕生する。文化 (元号)|文化10年(1813年)叙爵。職事を長年にわたって務め、職事の主席である頭弁(蔵人頭兼弁官|右大弁)に昇る。嘉永3年(1850年)参議、左大弁。安政4年(1857年)中納言|権中納言となる。また議奏となり、安政6年(1859年)には武家伝奏として、条約勅許問題、水戸藩|水戸降勅、将軍継嗣問題、和宮親子内親王|和宮降嫁など、朝幕の調停に大きく関与した。また文久元年(1861年)勅使として和宮降嫁に従って江戸に入り、武家伝奏任命の際の血誓を廃止することに成功した。文久2年(1862年)権大納言|大納言、元治元年(1864年)大宰権帥を兼任。慶応元年(1865年)従一位となるも、同年没。
過去の推移
–06
–07
1.4108
1.8109
1.8110
1.6111
1.6312
1.6513
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1.5515
1.5516
