土肥原・秦徳純協定(どいはら・しんとくじゅんきょうてい、中国語名:秦土協定)は1935年6月に発生した張北事件に端を発し、事件に関与した国民革命軍第二十九軍によるその他の問題を含めて同月27日に取り決められた日中間の協定である。日本側代表の土肥原賢二と中華民国側代表の秦徳純の名が協定名となった。
土肥原・秦徳純協定(どいはら・しんとくじゅんきょうてい、中国語名:秦土協定)は1935年6月に発生した張北事件に端を発し、事件に関与した国民革命軍第二十九軍によるその他の問題を含めて同月27日に取り決められた日中間の協定である。日本側代表の土肥原賢二と中華民国側代表の秦徳純の名が協定名となった。