土御門 泰邦(つちみかど やすくに、正徳元年8月8日(1711年9月20日)-天明4年5月9日(1784年6月26日))は、江戸時代中期の公卿・陰陽家。土御門泰福の末子。兄泰連の養子。墓所は京都梅小路梅林寺にある。土御門泰福の嫡男泰誠は父に先立って病死、そのため、弟の泰連が泰誠の養子として家督を継ぐ。だが、子供に恵まれず末弟の泰邦を養子として迎える。後に泰連には実子泰兄が生まれるが、泰邦が泰兄を養子として後を継がせる事を条件に家督を継いだ(ただし、泰兄とその嫡男有邦は泰邦より先に病死し、萩原家より有邦の養子に迎えられた土御門泰信も廃され、結局分家の倉橋家よ......
土御門 泰邦(つちみかど やすくに、正徳元年8月8日(1711年9月20日)-天明4年5月9日(1784年6月26日))は、江戸時代中期の公卿・陰陽家。土御門泰福の末子。兄泰連の養子。墓所は京都梅小路梅林寺にある。土御門泰福の嫡男泰誠は父に先立って病死、そのため、弟の泰連が泰誠の養子として家督を継ぐ。だが、子供に恵まれず末弟の泰邦を養子として迎える。後に泰連には実子泰兄が生まれる......