土岐 定政(とき さだまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将(大名)。土岐明智氏の系統であり、祖父頼明の兄・頼典を、明智光秀の祖父・光継と同一人物とする説もある。天文21年(1552年)6月、父定明が美濃守護土岐頼芸と斎藤道三の間の内紛に巻き込まれて死んだため、外祖父の菅沼定広を頼って落ち延びる。やがて、近隣の奥平貞勝への母の再嫁により離別させられて、母の弟・菅沼定仙の養嗣子とされた。そのため、菅沼藤蔵として生涯の大半を過ごす事となる。永禄7年(1564年)に徳川家康に招聘されてその家臣となり、永禄8年(1565年)の初陣を皮切りにして姉川の戦い......
土岐 定政(とき さだまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将(大名)。土岐明智氏の系統であり、祖父頼明の兄・頼典を、明智光秀の祖父・光継と同一人物とする説もある。天文21年(1552年)6月、父定明が美濃守護土岐頼芸と斎藤道三の間の内紛に巻き込まれて死んだため、外祖父の菅沼定広を頼って落ち延びる。やがて、近隣の奥平貞勝への母の再嫁により離別させられて、母の弟・菅沼定仙の......