土佐 光茂(とさ みつもち、明応5年(1496年)? - 没年不詳)は、室町時代後期から戦国時代にかけての大和絵の土佐派の絵師。刑部大輔・土佐光信の子。実子に土佐光元。土佐派の跡を継いだ土佐光吉は次子とも弟子とも言われるが、『土佐家資料』には光茂の没年や享年・戒名、光元の戦死場所などが正しく伝えられていない点から、門人説が有力である。官位は正五位下・刑部大輔。
土佐 光茂(とさ みつもち、明応5年(1496年)? - 没年不詳)は、室町時代後期から戦国時代にかけての大和絵の土佐派の絵師。刑部大輔・土佐光信の子。実子に土佐光元。土佐派の跡を継いだ土佐光吉は次子とも弟子とも言われるが、『土佐家資料』には光茂の没年や享年・戒名、光元の戦死場所などが正しく伝えられていない点から、門人説が有力である。官位は正五位下・刑部大輔。