国分 胤茂(こくぶん たねもち、建久8年(1197年)? - 仁治3年11月22日(1242年12月15日)?)は、日本の鎌倉時代に陸奥国宮城郡、現在の宮城県仙台市付近にいたとされる武士である。陸奥国の国分氏第2世の当主とされるが、実在しない可能性がある。 陸奥国の国分氏は、南北朝時代から戦国時代まで陸奥国宮城郡南部を領した武士で、下総国の国分から氏をとった国分胤通が宮城郡国分を奥州合戦の恩賞として与えられて移住したのがはじまりだと伝える。江戸時代に仙台藩の佐久間義和が編纂した系図では、胤茂は国分胤長の子、胤通からは孫にあたり、母は東胤頼の女。平直常の女を......
国分 胤茂(こくぶん たねもち、建久8年(1197年)? - 仁治3年11月22日(1242年12月15日)?)は、日本の鎌倉時代に陸奥国宮城郡、現在の宮城県仙台市付近にいたとされる武士である。陸奥国の国分氏第2世の当主とされるが、実在しない可能性がある。 陸奥国の国分氏は、南北朝時代から戦国時代まで陸奥国宮城郡南部を領した武士で、下総国の国分から氏をとった国分胤通が宮城郡国分を......