国分 盛経(こくぶん もりつね、貞治4年(1365年)? - 応永23年9月24日(1416年10月14日)?)は、日本の室町時代に陸奥国宮城郡にいた武士である。国分氏の第9世の当主とされる。名取郡で亘理氏と争い、亘理重胤を敗死させたが、その子亘理胤茂に敗れて戦死した。国分氏は南北朝時代から戦国時代末まで宮城郡南部を領した一族である。盛経の名は、江戸時代に佐久間義和が編纂した「平姓国分氏系図」には現れるが、古内氏蔵の「平姓国分氏系図」には見えない。父は国分胤経、母は留守家明の女。弟に盛秋、重政、経春があり、姉妹が二人いてそれぞれ白石信基と斎藤季長の妻になっ......
国分 盛経(こくぶん もりつね、貞治4年(1365年)? - 応永23年9月24日(1416年10月14日)?)は、日本の室町時代に陸奥国宮城郡にいた武士である。国分氏の第9世の当主とされる。名取郡で亘理氏と争い、亘理重胤を敗死させたが、その子亘理胤茂に敗れて戦死した。国分氏は南北朝時代から戦国時代末まで宮城郡南部を領した一族である。盛経の名は、江戸時代に佐久間義和が編纂した「平......