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四釜隆秀

推定知名度0.14%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

四竈 隆秀(しかま たかひで、生没年未詳)は、戦国時代、安土桃山時代の武将。大崎氏の家臣。加美郡四竈城主。官位は尾張守。陸奥大崎5郡を支配した大名である大崎氏の一族。剛勇にして知力ある武人と伝わり、大崎義隆も四竈隆秀を信頼していた。智勇兼備の士で、衰退する大崎氏をよく盛り立てたという。天正16年(1588年)の大崎合戦にて南条隆信・四竈隆秀は、主君・義隆の命で中新田城を侵攻してきた伊達政宗軍と抗戦、これを撃退した。天正18年(1590年)の小田原征伐で大崎氏が滅亡すると、天正19年(1591年)の大崎・葛西一揆で旧臣らと一揆を起こしたが、その鎮圧のために伊達政宗が進軍してくると政宗に投降して家臣となる。以後、伊達軍の先鋒として一揆の鎮圧を務めた。その後は石川頼重とともに宮崎城攻撃の手引きをした。石巻大崎氏家臣四竈隆秀系の「四竈(しかま)」氏は他家へ奉公し、現在も山形~宮城に分布する。四竈氏の居館である四竈城の城址は現在の宮城県加美郡色麻町四釜北谷地に存在する。五畿内七道制でいうと東山道の陸奥となる。

過去の推移