喜入 久正(きいれ ひさまさ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての薩摩国島津氏の家臣で、薩摩藩士。川上久光の長男であったが、喜入季久の高弟である喜入忠道が天正2年(1574年)に後継ぎの無いまま戦死したため、島津義久の命によりその後継となった。永禄年間に菱刈氏攻めに供をし、国分(現・鹿児島県霧島市)・財部(現・鹿児島県曽於市)の地頭に任じられた。慶長4年(1599年)に伊集院忠真が庄内の乱を起こすと、久正は島津忠恒の命で上洛し、伏見にいる徳川家康へ伊集院方の籠る12の城の地勢図を献上し、また家康の質問に答えて城内の農民の有無などを報告した。その後、忠恒が......
喜入 久正(きいれ ひさまさ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての薩摩国島津氏の家臣で、薩摩藩士。川上久光の長男であったが、喜入季久の高弟である喜入忠道が天正2年(1574年)に後継ぎの無いまま戦死したため、島津義久の命によりその後継となった。永禄年間に菱刈氏攻めに供をし、国分(現・鹿児島県霧島市)・財部(現・鹿児島県曽於市)の地頭に任じられた。慶長4年(1599年)に伊集院忠......