唐沢 玄蕃(からさわ げんば、生没年不詳)は、信濃国伊那郡沢渡出身の忍者。武田氏家臣、のち真田氏家臣。幼名は於猿、諱は久基。妻は割田重勝の娘。父・杢之助は山内上杉氏家臣の岩櫃城主斎藤憲広に仕えていたが、永禄6年(1563年)、武田家に寝返り、於猿は下曽根浄喜のもとに預けられた。永禄8年(1565年)、上野国嶽山城の攻防で杢之助は討死し、翌年武田信玄は於猿に宛てて感状を出している。唐沢家の跡を継いだ玄蕃は、その技量から「飛び六法」、「忍び名人」と称された。跳躍術・火薬術に長けており、天正2年(1574年)、上野国尻高城に侵入しこれを焼討ちにした。長篠の戦いに......
唐沢 玄蕃(からさわ げんば、生没年不詳)は、信濃国伊那郡沢渡出身の忍者。武田氏家臣、のち真田氏家臣。幼名は於猿、諱は久基。妻は割田重勝の娘。父・杢之助は山内上杉氏家臣の岩櫃城主斎藤憲広に仕えていたが、永禄6年(1563年)、武田家に寝返り、於猿は下曽根浄喜のもとに預けられた。永禄8年(1565年)、上野国嶽山城の攻防で杢之助は討死し、翌年武田信玄は於猿に宛てて感状を出している。......