唐橋 在煕(からはし ありひろ)は江戸時代後期の公卿。京の書家で父在家と親しかった永田忠原の弟子となり、和歌や書を学んだ。明和7年(1770年)に後桜町天皇が後桃園天皇に譲位して上皇になると、院伺候衆として上皇のお気に入りとなり最側近として仕えた。天明2年(1782年)12月22日には、従三位に叙された。母の黒田長貞娘との間に生まれた実弟、豊煕は跡継ぎが居なかった実家の秋月藩黒田家の養子になる予定だったが中止になり、京都にて母実家秋月黒田家、兄の在熙の庇護を受け別家を起てて独立した。文化9年(1812年)2月30日に56歳で没した。
唐橋 在煕(からはし ありひろ)は江戸時代後期の公卿。京の書家で父在家と親しかった永田忠原の弟子となり、和歌や書を学んだ。明和7年(1770年)に後桜町天皇が後桃園天皇に譲位して上皇になると、院伺候衆として上皇のお気に入りとなり最側近として仕えた。天明2年(1782年)12月22日には、従三位に叙された。母の黒田長貞娘との間に生まれた実弟、豊煕は跡継ぎが居なかった実家の秋月藩黒田......