哥川(かせん、1716年? - 1776年?)は、江戸時代の三国湊の遊里の遊女、俳人。遊女としての名は「泊瀬川(または長谷川)」本名は「ぎん」。当時の三国の遊里は、松ヶ下、上新町、出村の三箇所であったが、いわゆる「遊郭」のように囲まれた地域であったわけではない。また三国の遊女は「小女郎」と呼ばれ、廓の「太夫」と同格の芸教養と格式、品格を持つ者とされていた。江戸時代の三国湊は「北前船」の寄港する土地として、栄え、三国の遊里には多くの豪商や船主が足を運んだ。哥川は、三国出村の「荒町屋」抱えの遊女で、永正寺の住職・第17世の永言(俳名・杉原巴浪)に俳諧と書を学び......
哥川(かせん、1716年? - 1776年?)は、江戸時代の三国湊の遊里の遊女、俳人。遊女としての名は「泊瀬川(または長谷川)」本名は「ぎん」。当時の三国の遊里は、松ヶ下、上新町、出村の三箇所であったが、いわゆる「遊郭」のように囲まれた地域であったわけではない。また三国の遊女は「小女郎」と呼ばれ、廓の「太夫」と同格の芸教養と格式、品格を持つ者とされていた。江戸時代の三国湊は「北前......