和智 誠春(わち まさはる)は、戦国時代の武将。備後国・国人和智氏の当主。和智氏は藤原秀郷の流れを組む家系で波多野氏などと同族。室町期の当主(時実・豊実・豊広・豊郷)は代々、備後守護の山名氏に臣従し、また守護からは偏諱を受けており、誠春も山名誠豊から1字を受けたものと推測される。戦国期は他の備後の国人と共に、出雲国の尼子経久、次いで安芸国の毛利元就が力をつけると、それに従属した。享禄2年(1529年)、父・豊郷は毛利元就が石見国・国人高橋氏を討伐した際、松尾城の高橋重光(高橋弘厚か)を共に討つなどこれに協力した。誠春も父同様に毛利氏に従い、天文24年(15......
和智 誠春(わち まさはる)は、戦国時代の武将。備後国・国人和智氏の当主。和智氏は藤原秀郷の流れを組む家系で波多野氏などと同族。室町期の当主(時実・豊実・豊広・豊郷)は代々、備後守護の山名氏に臣従し、また守護からは偏諱を受けており、誠春も山名誠豊から1字を受けたものと推測される。戦国期は他の備後の国人と共に、出雲国の尼子経久、次いで安芸国の毛利元就が力をつけると、それに従属した。......