画像引用元: upload.wikimedia.org周景
推定知名度0.27%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女
周 景(しゅう けい、? - 168年)は、中国後漢に仕えた将。字は仲饗。揚州廬江郡舒県(安徽省舒城県)の人。祖父は周栄。父は周興。子は周崇、周忠。甥は周異、周尚。孫は周暉。従孫は周瑜。周景は、大将軍梁冀の公府に招かれ、豫州刺史、河内太守に選任された。賢を好み士を愛し、其の才を抜擢し善を薦めた。毎年、官吏に推薦した人を招聘し、奥の母屋に上がらせ、一緒に宴会をした。こういった事は四回以上と複数回あった。贈り物には満足のいくよう手がかけられていた。またその父子兄弟まで推薦し、ことのほか優しく接した。周景は後に将作大匠に選出された。梁冀が処罰されるに及び、周景はかつて招聘受けて上司と部下の関係になったことがあったため免官され禁錮となった。後、朝廷は周景がこれまで正しく忠実だったのは明らかなので、尚書令とした。その後、太僕、衛尉を勤めた。劉寵に代わり司空と為った。この時宦官は列位を子弟でかため塞いだ。周景は太尉楊秉と宦官の行いを皇帝に奏した。将軍、州牧、太守、五十余人が罷免された。中常侍である防東の侯覽、東武陽侯具瑗は皆免職され罰せられた。朝廷はこれを称えないことはなかった。司空となり二年、地震を以て免じられた。その後、復帰し、陳蕃に代わって太尉と為った。建寧元年に亡くなった。霊帝を立てることを約定する策をなしたため、亡くなった後、安陽郷侯の爵位を賜った。安陽郷侯の爵位は長子の周崇が嗣ぎ、甘陵相に至った。次子、周忠は大尉に至った。
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