呂 文徳(りょ ぶんとく、? - 1271年)は、南宋末期の将軍。弟に呂文煥がいる。南宋末期に仕えた長江で大勢力を誇った軍閥のひとりで、名将と謳われた孟珙没後は事実上、南宋を支えた猛将である。1244年にはモンゴル帝国軍と寿春で戦い、勝利して淮西招撫使に任じられた。その後もモンゴル帝国軍と各地で戦って武功を発揮し、朝廷内で大きな影響力を持った。1259年にモンゴルのモンケ・クビライ兄弟らによる大規模な侵攻が行なわれた際には、鄂州でクビライの攻撃を防いだ。これらの長年にわたる功績で、1267年には少傅に任じられる。クビライが第5代大ハーンに即位......
呂 文徳(りょ ぶんとく、? - 1271年)は、南宋末期の将軍。弟に呂文煥がいる。南宋末期に仕えた長江で大勢力を誇った軍閥のひとりで、名将と謳われた孟珙没後は事実上、南宋を支えた猛将である。1244年にはモンゴル帝国軍と寿春で戦い、勝利して淮西招撫使に任じられた。その後もモンゴル帝国軍と各地で戦って武功を発揮し、朝廷内で大きな影響力を持った。1259年にモンゴルの......