吉利 忠張(よしとし ただはる、天正元年11月13日(1573年12月7日) - 慶安5年10月13日(1652年11月3日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。島津氏の家臣。幼名は長虎丸。通称は三郎九郎、杢右衛門尉。受領名は下総守。初名は忠位。父は吉利忠澄。母は上井薫兼の娘。妻は比志島国貞の娘。子は吉利久在。
吉利 忠張(よしとし ただはる、天正元年11月13日(1573年12月7日) - 慶安5年10月13日(1652年11月3日))は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。島津氏の家臣。幼名は長虎丸。通称は三郎九郎、杢右衛門尉。受領名は下総守。初名は忠位。父は吉利忠澄。母は上井薫兼の娘。妻は比志島国貞の娘。子は吉利久在。