司馬 穎(しば えい、279年 - 306年)は、中国西晋時代の皇族である。字は章度。司馬炎の16子で恵帝の異母弟、懐帝の異母兄。成都王として王朝の重鎮となるが、八王の乱に参加、挙兵にあたり当時中国内陸部に移住させられていた異民族を積極的に利用した為、数年後に彼らの蜂起を招き、永嘉の乱及び五胡十六国時代の到来を招いた。289年、血縁重視政策を採っていた父により成都王に封ぜられ、299年には平北将軍となり、弱冠にして、政治・軍事の要職を歴任した。しかし300年、専横を極めた皇后賈氏の排除を目的とした大叔父の趙王司馬倫のクーデターにより八王の乱が勃発、301年......
司馬 穎(しば えい、279年 - 306年)は、中国西晋時代の皇族である。字は章度。司馬炎の16子で恵帝の異母弟、懐帝の異母兄。成都王として王朝の重鎮となるが、八王の乱に参加、挙兵にあたり当時中国内陸部に移住させられていた異民族を積極的に利用した為、数年後に彼らの蜂起を招き、永嘉の乱及び五胡十六国時代の到来を招いた。289年、血縁重視政策を採っていた父により成都王に封ぜられ、2......