史 浩(し こう、崇寧5年(1106年) - 紹熙5年(1194年))は、南宋初期の政治家。字は直翁。号は真隠居士・鄮峰真隠。諡は文恵、後に忠定。封号は魏国公、没後に会稽郡王、越王。史弥遠の父。明州鄞県(浙江省鄞州区)の出身。紹興14年(1144年)の進士で、国士博士・宗正少卿・中書舎人・翰林学士・知制誥を歴任する。孝宗の信頼が厚く、隆興元年(1163年)に尚書右僕射に任じられた。ところが、孝宗が金に対して強硬策を執る張浚の意見を採用して、宰相たちを飛ばして直接前線の将軍に命令を出したことに憤慨し、抗議のため辞任した。その後も孝宗の信頼は失われず、淳熙5年......
史 浩(し こう、崇寧5年(1106年) - 紹熙5年(1194年))は、南宋初期の政治家。字は直翁。号は真隠居士・鄮峰真隠。諡は文恵、後に忠定。封号は魏国公、没後に会稽郡王、越王。史弥遠の父。明州鄞県(浙江省鄞州区)の出身。紹興14年(1144年)の進士で、国士博士・宗正少卿・中書舎人・翰林学士・知制誥を歴任する。孝宗の信頼が厚く、隆興元年(1163年)に尚書右僕射に任じられた......