古市 胤子(ふるいち たねこ、天正11年(1583年) - 万治1年(1658年)6月27日 )は江戸時代初期の女官。本姓は清原氏。幼名はおちやちや。従三位。父は大和国の武将駒崎城主播磨守古市胤栄で、母は関白近衛前久の娘桂光院(渓江院)殿。初め、室町幕府15代将軍義昭の子義尋(高山、義広)に嫁し、以下二子を儲けた。* 義尊(1601年 - 1661年) - 実相院門跡* 常尊(慶長9年(1604年)-寛文11年(1671年)7月2日) - 円満院門跡、68歳、法号は寂住院殿長吏法務大阿闍梨常尊尊儀義尋が慶長10年(1605年)に没した後は、母方の親戚である......
古市 胤子(ふるいち たねこ、天正11年(1583年) - 万治1年(1658年)6月27日 )は江戸時代初期の女官。本姓は清原氏。幼名はおちやちや。従三位。父は大和国の武将駒崎城主播磨守古市胤栄で、母は関白近衛前久の娘桂光院(渓江院)殿。初め、室町幕府15代将軍義昭の子義尋(高山、義広)に嫁し、以下二子を儲けた。* 義尊(1601年 - 1661年) - 実相院門跡* 常尊(慶......