原 虎吉(はら とらよし、生没年不詳)は、戦国時代の武将。武田家家臣。通称は半右衛門尉。大隅守を称す。「武田法性院信玄公御代惣人数之事」『甲陽軍鑑』によれば虎吉は横目衆(御中間頭)で、信玄から感状18通を与えられたという。初見史料は天文12年(1543年)8月8日の「広厳院文書」で、広厳院(山梨県笛吹市一宮町)に寺領を寄進している。この時点で「半右衛門尉」を名乗っている。「若宮八幡社所蔵棟札写帳」によれば、天文14年(1545年)8月12日の若宮八幡神社拝殿の再建棟札に「原大隅守」の名が記されているが、この棟札の内容には疑問点が指摘されている。「甲斐国志所......
原 虎吉(はら とらよし、生没年不詳)は、戦国時代の武将。武田家家臣。通称は半右衛門尉。大隅守を称す。「武田法性院信玄公御代惣人数之事」『甲陽軍鑑』によれば虎吉は横目衆(御中間頭)で、信玄から感状18通を与えられたという。初見史料は天文12年(1543年)8月8日の「広厳院文書」で、広厳院(山梨県笛吹市一宮町)に寺領を寄進している。この時点で「半右衛門尉」を名乗っている。「若宮八......