原田 親種(はらだ ちかたね)は、戦国時代の武将。原田氏(大蔵氏嫡流)。原田隆種の四男。上総介。五郎左衛門。弘治3年(1557年)、本木道哲の策略により兄種門(たねかど)・種繁(たねしげ)が謀反の罪を着せられ、岐志の南林寺で討死したのち、家督を継ぐ。永禄8年(1565年)、立花鑑載の謀反に加勢したが、鑑載が敗れたため逃亡。永禄11年(1568年)、再び鑑載が叛旗を翻した際、父原田隆種は、鑑載討伐へ出立した臼杵鎮続の留守を狙って柑子岳城を攻略。親種自身は鑑載の援護に駆けつけた毛利勢に加わり大友勢と戦ったが、敵わず高祖山城へ向けて敗走。追撃する大友勢を原田親秀......
原田 親種(はらだ ちかたね)は、戦国時代の武将。原田氏(大蔵氏嫡流)。原田隆種の四男。上総介。五郎左衛門。弘治3年(1557年)、本木道哲の策略により兄種門(たねかど)・種繁(たねしげ)が謀反の罪を着せられ、岐志の南林寺で討死したのち、家督を継ぐ。永禄8年(1565年)、立花鑑載の謀反に加勢したが、鑑載が敗れたため逃亡。永禄11年(1568年)、再び鑑載が叛旗を翻した際、父原田......