単 懋謙(ぜん ぼうけん、''Shan Maoqian''、1802年 - 1879年)、字は仲亨、号は地山。清末の官僚。湖北省襄陽出身。1832年に進士となり、庶吉士に選ばれ、編修となった。その後広東学政となったが、父の死後母を養うために郷里に帰った。襄陽にいる間、鹿門書院で講義を行って人材を育てた。1853年、太平天国軍が湖北省に侵入すると、団練を組織して太平天国軍の進撃を防いだ。1856年、北京に戻って官界に復帰し、江西学政、侍読学士、少詹事、内閣学士、工部侍郎などを歴任した。1863年に左都御史となり、翌年に工部尚書となった。1865年に盛京へ太廟......
単 懋謙(ぜん ぼうけん、''Shan Maoqian''、1802年 - 1879年)、字は仲亨、号は地山。清末の官僚。湖北省襄陽出身。1832年に進士となり、庶吉士に選ばれ、編修となった。その後広東学政となったが、父の死後母を養うために郷里に帰った。襄陽にいる間、鹿門書院で講義を行って人材を育てた。1853年、太平天国軍が湖北省に侵入すると、団練を組織して太平天国軍の進撃を防......