千羽ヶ嶽 兵右エ門(ちばがたけ ひょうえもん、1840年〈天保11年〉 - 1868年6月13日〈慶応4年4月23日 (旧暦)|閏4月23日〉)は、玉垣部屋に所属した元力士。大正時代に活躍した東雲れい藏|東雲衑藏(元東小結)は甥に当たる。本名は朝桐 衑助(あさぎり れいすけ)。阿波国勝浦郡(現在の徳島県勝浦郡)出身。身長185cm・体重116kgと江戸時代の力士にしては大柄だった。最高位は西前頭2枚目。また弓取式|弓取を務めた事でも知られる。徳島藩のお抱え力士として、1861年2月場所で初土俵(二段目〈現在の幕下〉)を踏んだ。1866年3月場所で東十両8枚......
千羽ヶ嶽 兵右エ門(ちばがたけ ひょうえもん、1840年〈天保11年〉 - 1868年6月13日〈慶応4年4月23日 (旧暦)|閏4月23日〉)は、玉垣部屋に所属した元力士。大正時代に活躍した東雲れい藏|東雲衑藏(元東小結)は甥に当たる。本名は朝桐 衑助(あさぎり れいすけ)。阿波国勝浦郡(現在の徳島県勝浦郡)出身。身長185cm・体重116kgと江戸時代の力士にしては大柄だった......