千々石 直員(ちぢわ なおかず、天文14年(1545年)? - 元亀元年(1570年) )は戦国時代の武将。長崎釜蓋城主。天正遣欧使節の千々石紀員(ミゲル)の父。有馬晴純の子で、千々石氏の養子。キリシタン大名の大村純忠は兄、有馬晴信は甥に当たる。永禄6年(1563年)、後藤貴明に属して実兄の純忠と争う。元亀元年(1570年)に横造城を守って戦い、龍造寺氏に攻められ家老の木戸高九郎とともに自刃した。
千々石 直員(ちぢわ なおかず、天文14年(1545年)? - 元亀元年(1570年) )は戦国時代の武将。長崎釜蓋城主。天正遣欧使節の千々石紀員(ミゲル)の父。有馬晴純の子で、千々石氏の養子。キリシタン大名の大村純忠は兄、有馬晴信は甥に当たる。永禄6年(1563年)、後藤貴明に属して実兄の純忠と争う。元亀元年(1570年)に横造城を守って戦い、龍造寺氏に攻められ家老の木戸高九郎......