十市 遠清(とおち/とおいち とおきよ、生年不詳 - 明応4年10月13日(1495年11月8日))は、室町時代後期から戦国時代前期の武将。十市遠栄の子。八田遠勝の兄。子に遠相、遠為等。孫に遠治。大和十市城主。幼名は加賀寿丸。官位は播磨守。永享12年(1440年)に父が自殺し、嘉吉2年(1442年)、室町幕府管領畠山持国の取りなしで十市氏の家督を継いで遠清と名乗った。遠清は播磨守を称し、興福寺に重用され寛正2年(1461年)には羽津黒井・草川両庄の検断職に任じられ、弟の遠勝を八田氏の養子に入れる等着実に勢力を拡大していった。独自の立場を維持する目的から当時......
十市 遠清(とおち/とおいち とおきよ、生年不詳 - 明応4年10月13日(1495年11月8日))は、室町時代後期から戦国時代前期の武将。十市遠栄の子。八田遠勝の兄。子に遠相、遠為等。孫に遠治。大和十市城主。幼名は加賀寿丸。官位は播磨守。永享12年(1440年)に父が自殺し、嘉吉2年(1442年)、室町幕府管領畠山持国の取りなしで十市氏の家督を継いで遠清と名乗った。遠清は播磨守......