北条 範貞(ほうじょう のりさだ、生年不明 - 正慶2年/元弘3年5月22日(1333年7月4日))は、鎌倉時代後期の北条氏一門。極楽寺流の支流・常盤流の当主で常葉範貞とも呼称される。父は北条時範、子に北条重高がいる。母は不明で、生年も未詳だが、北条貞時が得宗家当主であった期間内(1284年-1311年)に元服し、「貞」の偏諱を受けたとみられる。嘉元2年(1304年)、従五位下、左近将監に叙位される。正和4年(1315年)、引付衆に任じられ幕政に参画する。翌5年(1316年)、従五位上に昇進。元応2年(1320年)には、評定衆に補充される。元亨元年(132......
北条 範貞(ほうじょう のりさだ、生年不明 - 正慶2年/元弘3年5月22日(1333年7月4日))は、鎌倉時代後期の北条氏一門。極楽寺流の支流・常盤流の当主で常葉範貞とも呼称される。父は北条時範、子に北条重高がいる。母は不明で、生年も未詳だが、北条貞時が得宗家当主であった期間内(1284年-1311年)に元服し、「貞」の偏諱を受けたとみられる。嘉元2年(1304年)、従五位下、......