加藤 祐三郎(かとう ゆうさぶろう、1903年(明治36年)3月30日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。第二次世界大戦末期の情報局第二部長として録音盤事件に際会。戦後は公職追放を経て、東北開発株式会社の副総裁を務めた。==略歴==福島県出身。1921年(大正10年)会津中学4年修了で一高へ進む。東京帝国大学英法科在学中に高等文官試験に合格し、卒業後の1928年(昭和3年)内務省へ入省した。内務属警保局保安課へ配属となり、以後台湾総督府警務局保安課、大分県、青森県、茨城県の各特高警察課長、栃木県、宮城県の各警察部長など警察関連の職務を歴任した。大政翼賛会組......
加藤 祐三郎(かとう ゆうさぶろう、1903年(明治36年)3月30日 - 没年不詳)は、日本の内務官僚。第二次世界大戦末期の情報局第二部長として録音盤事件に際会。戦後は公職追放を経て、東北開発株式会社の副総裁を務めた。==略歴==福島県出身。1921年(大正10年)会津中学4年修了で一高へ進む。東京帝国大学英法科在学中に高等文官試験に合格し、卒業後の1928年(昭和3年)内務省......