劉 隠(りゅう いん、乾符元年(874年) - 乾化元年3月3日(911年4月4日))は十国・南漢の実質的な創始者。河南上蔡(現在の河南省上蔡県)の人。正式には皇帝として即位しておらず、唐の節度使・後梁の南海王の地位にあった。賢士・名士を好み、唐や後梁の混乱で逃れてきた多くの人材を登用して南漢の基礎を作り上げた。
劉 隠(りゅう いん、乾符元年(874年) - 乾化元年3月3日(911年4月4日))は十国・南漢の実質的な創始者。河南上蔡(現在の河南省上蔡県)の人。正式には皇帝として即位しておらず、唐の節度使・後梁の南海王の地位にあった。賢士・名士を好み、唐や後梁の混乱で逃れてきた多くの人材を登用して南漢の基礎を作り上げた。