前廃帝(ぜんはいてい)は、南朝宋の第5代皇帝。姓は劉、名は子業、小字は法師。449年1月、武陵王劉駿の長男として生まれた。父の劉駿は江州刺史として尋陽に出向したが、子業は建康にとどまっていた。453年、劉劭が文帝を殺害して帝を称すると、子業は侍中下省に監禁され、殺害されそうになったことも一再ではなかったが、なんとか無事に切り抜けた。孝武帝(劉駿)が即位すると、皇太子に立てられた。464年閏5月、孝武帝が死去すると、子業は皇帝に即位した。465年8月には自ら衛兵を率いて劉義恭・柳元景・顔師伯らを殺害し、9月には劉子鸞に死を賜り、11月には何邁を獄死させ、沈慶......
前廃帝(ぜんはいてい)は、南朝宋の第5代皇帝。姓は劉、名は子業、小字は法師。449年1月、武陵王劉駿の長男として生まれた。父の劉駿は江州刺史として尋陽に出向したが、子業は建康にとどまっていた。453年、劉劭が文帝を殺害して帝を称すると、子業は侍中下省に監禁され、殺害されそうになったことも一再ではなかったが、なんとか無事に切り抜けた。孝武帝(劉駿)が即位すると、皇太子に立てられた。......