初鹿野 忠次(はじかの ただつぐ、天文2年(1533年) - 永禄4年9月10日(1561年10月18日))は、は、戦国時代の武将。甲斐国武田氏の家臣で足軽大将。初鹿野氏は武田氏庶流で甲斐都留郡初鹿野郷を領地とする一族で、上田原の合戦において戦死した初鹿野伝右衛門の子である。父の戦死後、家督を継いだ。通称は源五郎。
初鹿野 忠次(はじかの ただつぐ、天文2年(1533年) - 永禄4年9月10日(1561年10月18日))は、は、戦国時代の武将。甲斐国武田氏の家臣で足軽大将。初鹿野氏は武田氏庶流で甲斐都留郡初鹿野郷を領地とする一族で、上田原の合戦において戦死した初鹿野伝右衛門の子である。父の戦死後、家督を継いだ。通称は源五郎。