分部 光信(わけべ みつのぶ)は、伊勢国上野藩2代藩主。近江国大溝藩初代藩主。分部家2代。天正19年(1591年)、伊勢の国人・長野工藤氏の一族・長野正勝の子として生まれる。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの際には分部氏本家によって同じ東軍に属した富田信高への人質として差し出された。慶長6年(1601年)から徳川氏に仕える。同年に先代藩主・分部光嘉が死去すると、光嘉の長男・光勝が早世していたため、娘婿に当たる長野正勝の子で外孫にあたる光信が養嗣子として跡を継ぐこととなった。光信は二条城や駿府城、大坂城、佐和山城の普請で功を挙げた。慶長9年(1604年)......
分部 光信(わけべ みつのぶ)は、伊勢国上野藩2代藩主。近江国大溝藩初代藩主。分部家2代。天正19年(1591年)、伊勢の国人・長野工藤氏の一族・長野正勝の子として生まれる。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの際には分部氏本家によって同じ東軍に属した富田信高への人質として差し出された。慶長6年(1601年)から徳川氏に仕える。同年に先代藩主・分部光嘉が死去すると、光嘉の長男・光......