出淵 平兵衛(いずぶち へいべえ、生年不詳 - 天和2年(1682年))は 江戸時代初期の剣術家。名は盛次。越前福井藩の武士。運籌流。柳生流(柳生新陰流)。柳生宗矩の代表的な高弟として知られ、後世柳生四天王の一人に数えられた。寛永9年(1632年)に越前福井藩主・松平忠昌に召し出されて剣術指南役を務めて500石を得る。 正保2年(1645年)主君・忠昌が死去したのを機に致仕を願い出たが許されず、かえって200石の加増を受けた。同年に師・宗矩が病に倒れたために主君の許しを得て江戸に上り、日夜看病に努めた。このことが将軍徳川家光の知るところとなり、当時門外不出......
出淵 平兵衛(いずぶち へいべえ、生年不詳 - 天和2年(1682年))は 江戸時代初期の剣術家。名は盛次。越前福井藩の武士。運籌流。柳生流(柳生新陰流)。柳生宗矩の代表的な高弟として知られ、後世柳生四天王の一人に数えられた。寛永9年(1632年)に越前福井藩主・松平忠昌に召し出されて剣術指南役を務めて500石を得る。 正保2年(1645年)主君・忠昌が死去したのを機に致仕を願い......