具平親王(ともひら しんのう、応和4年6月19日(964年8月4日)- 寛弘6年7月28日(1009年8月21日))は、平安時代中期の皇族。第62代村上天皇の第七皇子、母は女御荘子女王(醍醐天皇の第三皇子代明親王の次女)。官位は二品・中務卿。後中書王(のちの ちゅうしょ おう)、千種殿(ちぐさ どの)、六条宮(ろくじょうの みや)の通称がある。
具平親王(ともひら しんのう、応和4年6月19日(964年8月4日)- 寛弘6年7月28日(1009年8月21日))は、平安時代中期の皇族。第62代村上天皇の第七皇子、母は女御荘子女王(醍醐天皇の第三皇子代明親王の次女)。官位は二品・中務卿。後中書王(のちの ちゅうしょ おう)、千種殿(ちぐさ どの)、六条宮(ろくじょうの みや)の通称がある。