八条宮智忠親王(はちじょうのみや としただしんのう)は、江戸時代前期の日本の皇族。八条宮(桂宮)第2代。八条宮智仁親王第1王子、生母は丹後宮津藩主京極高知の娘常子。幼称は若宮、多古麿(たこまろ)。寛永元年(1624年)後水尾天皇の猶子となり、寛永3年(1626年)12月親王宣下を受け、忠仁(ただひと)と命名される。後に智忠親王と改称する。寛永6年(1629年)2月元服して、中務卿に任じられる。同年4月父智仁親王の薨去により宮家を継承する。寛永19年(1642年)9月前田利常の四女・富姫を妃とするが、後嗣を儲けることはできなかったため、承応3年(1654年)......
八条宮智忠親王(はちじょうのみや としただしんのう)は、江戸時代前期の日本の皇族。八条宮(桂宮)第2代。八条宮智仁親王第1王子、生母は丹後宮津藩主京極高知の娘常子。幼称は若宮、多古麿(たこまろ)。寛永元年(1624年)後水尾天皇の猶子となり、寛永3年(1626年)12月親王宣下を受け、忠仁(ただひと)と命名される。後に智忠親王と改称する。寛永6年(1629年)2月元服して、中務卿......