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児島高徳

推定知名度2.19%15〜75歳男女
推定知名度--%20〜35歳男女

児島 高徳(兒嶋 髙德、こじま たかのり)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍したとされる武将。備前国児島郡林村出身。従五位下・備後守を賜る。『太平記』中では和田、今木といった苗字で表記される場合もあり、「児島」を「小島」と書き換える表記も散見される。元弘元年(1331年)の元弘の乱以降、後醍醐天皇に対して忠勤を励み、南北朝分裂後も一貫して南朝側に仕えた。晩年は出家し、志純義晴と号したという。正式な法名は志純義晴大徳位。江戸時代以降、南朝の忠臣として讃えられ、国民的英雄のひとりとなった。その一方で具体的な活動を示す文献が軍記物語の『太平記』以外にはないために、近代的考証史学の観点から実在性を否定している学説も根強い。また、同書の編者である小島法師と同一人物とする説や、高徳を地元の山伏勢力出身と見る説もある。

過去の推移