光武帝(こうぶてい、前6年 - 57年)は、南陽蔡陽(湖北省棗陽市)の人。後漢王朝の初代皇帝。王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱を統一し、漢王朝の再興として後漢王朝を建てた。諡号の光武帝は漢朝を中興したことより「光」、禍乱を平定したことより「武」の文字が採用された。「隴を得て蜀を望む」「志有る者は事竟に成る」「柔よく剛を制す」(『黄石公記』(=『三略』)の引用)などの言葉を残している(『後漢書』本紀1上・下・本伝)。中国史上で唯一、一度滅亡した王朝の復興を旗印としてこれに成功した君主である。「漢委奴国王」の金印を倭(日本)の奴国の使節にあたえた皇帝とされて......
光武帝(こうぶてい、前6年 - 57年)は、南陽蔡陽(湖北省棗陽市)の人。後漢王朝の初代皇帝。王莽による簒奪後の新末後漢初に混乱を統一し、漢王朝の再興として後漢王朝を建てた。諡号の光武帝は漢朝を中興したことより「光」、禍乱を平定したことより「武」の文字が採用された。「隴を得て蜀を望む」「志有る者は事竟に成る」「柔よく剛を制す」(『黄石公記』(=『三略』)の引用)などの言葉を残して......