佐貫 広綱(さぬき ひろつな、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての上野国佐貫荘(現群馬県邑楽郡明和町大佐貫)の武将。藤姓足利氏の一族。父は佐貫広光、または足利有綱。通称は四郎大夫。左衛門尉。相撲奉行人として五位に叙せられる。治承4年(1180年)5月、以仁王の挙兵にあたり、平家方の同族である足利忠綱の軍勢に属して以仁王・源頼政の追討に加わり、『平家物語』「橋合戦」に名が見られる。その後、源頼朝に臣従して鎌倉の御家人となり、養和元年(1181年)7月20日、鶴岡八幡宮宝殿上棟式典で源義経・畠山重忠と共に大工に賜る馬を引いている。元暦元年(1......
佐貫 広綱(さぬき ひろつな、生没年不詳)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての上野国佐貫荘(現群馬県邑楽郡明和町大佐貫)の武将。藤姓足利氏の一族。父は佐貫広光、または足利有綱。通称は四郎大夫。左衛門尉。相撲奉行人として五位に叙せられる。治承4年(1180年)5月、以仁王の挙兵にあたり、平家方の同族である足利忠綱の軍勢に属して以仁王・源頼政の追討に加わり、『平家物語』「橋合戦......